2011/06/08

Recital

2日目のリサイタルは、夜でした。

日が長くてまだうっすら明るい空の中、会場に向かうと、去年コンクール前に練習のためピアノを貸していただいた家族や、コラート在住の若手ピアニストたちに一年ぶりに再会できました。





チラシやプログラムには印刷してあるのは、20時半開演。一応、何時ごろ会場入りすればよいですかとたずねて、20時半で大丈夫よと言われたので、予想はしていましたが。。。実際、20時半には始まる気配もなく、演奏会前に関係者の長いスピーチが入り、実際弾いたのは21時半をまわっていました笑 こうゆうのもイタリアではよくあるお話です。



始まって見ると、とても弾きやすいピアノ、静寂のおかげで、スカルラッティの1音目から、すっと音楽に入り込めました。


スカルラッティ2曲、モーツァルトアダ-ジオ、そしてシューマンを弾いているころからだんだん、、、ライトの熱でのぼせそうになってきて大変でしたが、一曲一曲のヴァリエーションを大切に弾きました。この曲は藝大時代修士リサイタルで弾きたくて選んだ曲だったのですが、あの時とは全く違った演奏になったような気がします。


たとえばレッスンなどで、もっと“自由に”と表現されると、どうやって?と引出しのない頃は、さらにむずかしく感じていました。今は、音楽に存在する時間の自由、というのを感じて音にすることが、前よりも少しだけわかるようになりました。




こうゆうことを理解するのは、自分の感覚で確かめて行くしかないような気がします。教えられても、それはその先生のもので、自分の中でわからないことというのは、自分の経験したことが、一番答えを教えてくれるものだと思います。




それが毎回うまくいくとか、正しいかどうかなんて、わからないけれど、経験の積み重ねが音楽の本質につながると信じて、弾いている今日この頃です。




聴いていても、弾いていても、あ、これだ!と思う瞬間は、会場も水を打ったように静かに聴いてくださっているものです。のめりこみすぎて、そうゆう意識を忘れることもしばしばですが。





音と現実をつなぐ、時間の感覚。。。 音楽は時間の芸術ですから。



だから、本番というのは、音楽する人にとってかけがえのない時間なのです。





休憩をはさんでバルトークは、良い意味でと思いたいオーバーヒートでしたが、最後までお客さんに喜んでいただけて嬉しく思いました。





終わった後の写真はいつも、こんなに笑ってたの?と思うくらい笑顔。やっぱりホッとしてるのでしょうか。







本当に、ありがとうございました。